大人 ニキビのリニューアル

オーストラリアのNc大学、カナダのMm大学、米Hb大学のニュー・パスウェイなどがその代表例である。 しかもこれらアングロアメリカンの国では、従来から医学部での臨床教育には定評があり、卒業するときの学生の臨床の力量は日本とは比べものにならない。
日本でもこのような試みは一部ではなされてはいるものの、従来の講座制などのシステムの問題、教育における開かれた他流試合の伝統の欠如などがネックになって、なかなかその実行は難しいようである。 私は日本とアメリカの両方の大学でそれぞれ15年にわたって臨床、教育、研究に携わってきた。
そこでの違いは何か、なぜ違いが生じるのか。 これを考えることもむだではないと思う。
結論から言えば、アメリカに学ぶべき点は多い。 それはアメリカが、世界の政治的、経済的リーダーであるからだけではない。

アメリカは建国からの歴史が浅く、新しい考えや試みを実行しやすい背景があり、また多くの異なった人種、背景の人たちから構成されているので、制度や理念には、国際的に標準性・普遍性が高いからである。 そして、常によりよいものを追求する「競合的フロンティア精神」がある。
もちろん、医療に関していまのアメリカに多くの問題点があることも確かである。 しかし、少なくともアメリカにはオープンで公正であろうとする土壌があり、理論的、分析的である。
それは大いに参考にすべきであろう。 医学部への道日本で医者になるには、高等学校を卒業して、医学部(6年)に進学し、医師の国家試験に受かればよい。
そのため医学部を卒業するとほとんどが医師試験を受け、医師免許を取得する。 一部の人は基礎医学への進路をとるが、その場合も医師免許を取得していることが多い。
さらに日本の医師免許は、医師としての業務をすべてしてよい免許であり、それが医学部を卒業してすぐに受ける医師国家試験で決まり、更新する必要もない。 もちろん大部分の医師は卒業すると2〜3年は自分の専門とする診療部門の臨床研修を受けるが、医師免許はどの領域の医師としての診療も制限してはいない。
たとえば、卒業して大学で精神科の臨床だけをしていたとしても、「内科、外科、精神科」を標榛して開業してもよい。 これが本当に望むべき姿だろうか。
アメリカではどうか。 まず、4年間の大学に進学する。
リベラル・アーツである。 これをアンダーグラデュエートという。
もし医学部に行きたければ、この4年間に何を専攻してもよいが(政治、経済などでもよい)、生物、化学、物理と数学は必修になる。 そしてアメリカでは医学部(4年)は初めから大学院、つまりグラデュエートスクールと位置づけしてある。

しかも重要なことは、たとえばA大学の医学部ではA大学のアンダーグラデュエート出身の学生を、定員の20%くらいしか採用しないということである。 アメリカ全土のいろいろな大学から学生を採用することを意識的にやっている。
医学部のカリキュラムは「基礎医学2年十臨床医学2年」で、後半の2年間は、学生は病棟チームの一員として医師と同じスケジュールで毎日を過ごす。 これは「クリニカル・クラークシップ」といわれるもので、これをしいて定義すれば「アメリカ式の医学部臨床教育」といえる。
日本の多くの大学での臨床実習とは、その内容・レベルからして比較にならない。 日本の研修医のレベルの内容といえる。
卒業すると、どこの病院で研修するのか。 ここでも、A大学医学部を卒業すると、A大学病院や関連病院での研修は難しい。
全国でのコンピュータによるマッチングで一斉に決まってしまう。 病院もまたいろいろな大学医学部を卒業した医師を採用しようとする。
このようなシステムゆえ学士になってから(一部は社会生活を経て)医学部4年制に進学する「4+4」年制には、いくつかのメリットとそれを可能とする背景がある。 現在の日本やアメリ力のように18歳人口の40〜50%が大学に進学する場合、大学に進学することはエリート養成ではなく「普通のこと」で、大学進学の目的は「一般社会人の教養」を得ることになる。
にもかかわらず、一方で、偏差値教育のもとで、「偏差値が高いから医学部に進む」という本来の目的とは違った理由で医学部に進学する学生が出現する。 医学部に進学する目的意識が必ずしも以前ほどはっきりしていないという問題がある。

この点で、今の日本は高学歴社会になり、アメリカのようなシステムを導入できる、またすべき社会的背景になってきている。 そこで注意したいことは、たとえばA大学医学部に進学する場合には、同じA大学の4年制学部を卒業した生徒で固めることは好ましくないということである。
アメリカのように同じ大学からの医学部入学者を医学部定員の20〜210%程度に抑え、いろいろな大学の卒業生が「混ざる」ことが、全国的に質の高い学生を保証する第1歩である。 このような開かれたシステムになれば、臨床研修の質もカリキュラムも全国的に均質で、質のよいものになる。
「混ぜる」ことをしないで「4+4」年制を日本で導入すれば、一生懸命にがんばってもどの程度のレベルかを他人に評価させない日本の閉ざされたシステムは温存され、たとえばT大を頂点としたシステムはさらに強化され、日本の学歴・学閥偏重はさらに拡大するであろう。 分に臨床研修に打ち込める。
アメリカでの卒後臨床教育に見られるような「教員レジデントーインターンー学生」という教育システムをもっと取り入れることによって、より効果のある、より責任のある、社会のニーズにも合った臨床教育ができる。 日本の多くの臨床教育の現場では、「教員=研修医」と「教員=学生」という並行した教育のシステムが中心になっているように思われる。
学部臨床教育の目的からもその効果から考えても、「教員=研修医=学生」というシステムが導入されるべきである。 もちろん、研究志向の強い人は、専門分野にもよるが、2〜3年の臨床研修のあとに研究を始めることができる。
成果によっては、理学博士号(PhD)を与えてもよいであろう。 もちろん理学博士号をとらなくても医師のキャリアには何ら差し支えない。
にアメリカでは、どこの大学を卒業したかはあまり問題ではなく、研修医として、そして医師としてどのくらい優れているかが、医師としてのキャリアのそれぞれのレベルで、出身大学と関係なく同世代の人たちによって評価される。 だから、どこの大学の卒業生が一般に優れているかも、おのずと全国的にわかってしまう。
日本版「4+4」年制のメリットと不安要因最近、文部省も「21世紀の医学医療懇談会」で、このような「4+4」年制の「メディカルスクール」方式を提言し、いくつかの大学がこの「学士入学」を定員の一部に導入する方向である。 このプロセスで「混ざる」ことが日本でできるかどうかで、医療にかかわる大学人の見識が国際的視点から問われることになるだろう。

さらに「臨床」の医学系大学院をどうするかという問題も、一定の結論は得られていない。 大学院は「研究者」のコースであり、「臨床の研修、専門医としての研修」とは基本的には、そして理念としても相入れない。
「4+4」年制とすると、アメリカのように医学部卒業を大学院と同等として、卒業とともに「医学博士」の称号を与えることもできる。